栗が来たので、今年も煮る。|渋皮煮、たぶん5年目

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今年も、栗をいただきました。

大きめのボウルに、いっぱい。

いただいた栗。

見た瞬間に思うことは、だいたい二つです。

「やった、渋皮煮が作れる」

そして、

「今年も始まってしまった……」

うれしい。

渋皮煮は大好きです。

ただし、作るのは普通に面倒です。

先に、いちばん伝えたいことを書いておきます。

鬼皮は、熱湯を注いでから剥くと、ぐっと楽になります。

剥き方だけ知りたい方は、こちらからどうぞ。

渋皮煮を好きになった理由

いつだったか、親について親戚の家へ何かの挨拶に行ったことがありました。

たぶん高校生くらいだったと思います。

そのときに出してもらった渋皮煮が、ものすごくおいしかった。

それまで渋皮煮に特別な思い入れがあったわけではありません。

でも、その一回がずっと記憶に残っています。

それ以来、渋皮煮が好きです。

後年、栗をたくさんいただくようになりました。

さて、どうしよう。

マロングラッセや甘露煮は、そこまで好みではない。

やっぱり、渋皮煮よね。作ろう。

気づけば毎年作るようになり、今年でたぶん5年目くらいです。

面倒だけど、喜んで作る

渋皮煮は時間がかかります。

特に、鬼皮を剥く時間が長い。重曹で茹でるのも複数回。

長編の海外ドラマや映画を流して、画面を見たり、栗を見たりしながら、ひたすら剥きます。茹でます。

冬に松前漬けを作るとき、延々と昆布を切っているのですが、あれと同じような時間が流れます。

丁寧な暮らしをしたいから、こんな手間のかかるものを作っている。

……というわけではありません。

食べたいから作ります。

好きなので、面倒でも喜んで作ります。

そして毎年、地味に腰が痛くなります。

優雅な秋の手仕事に見えて、身体にはまあまあ来ます。

秋の味覚と引き換えに、今年も腰を差し出します。

栗には、熱湯のお風呂に入ってもらう

面倒なのは毎年変わりません。

それでも作りたいので、どうすれば楽になるかだけは考えました。

何年か作っているうちに、少しずつ自分なりのやり方も決まってきました。

ひとつ、これだけは一度試して!!と思う方法が

鬼皮を剥く前に、栗には熱湯のお風呂に入ってもらう。

鬼皮を柔らかくする方法はいろいろあります。

水に長くつけたり、軽く煮たり。

私もいろいろ試しましたが、一番面倒ではないのがこれでした。

栗をボウルに入れる。

ケトルでお湯を沸かす。

熱湯をドバドバ注ぐ。

熱湯のお風呂に入ってもらいます。

10分くらい置いたら、包丁で鬼皮を剥いていきます。

きっちり測ったことはないので、だいたいです。

大事なのは、途中でお湯がぬるくなったら、そのまま頑張らないこと。

ぬるくなると、鬼皮が剥きにくくなります。

冷蔵庫に入れていた栗は冷えているので、10分ほどでお湯がぬるくなります。

そんなときはボウルのお湯を捨てて、もう一度ケトルで沸かした熱湯をドバドバ。

温かいうちのほうが、ずっと剥きやすいです。

※熱湯と包丁を使うので、やけどやケガには十分ご注意ください。

最初のころは渋皮まで傷つけてしまうことがよくありました。(指も、、、、)

今では小さな栗でも、ほとんど傷をつけずに鬼皮だけを剥けるようになりました。

鬼皮を剥いたあと。水に入れています。

最初の一個と最後の一個で、それほどスピードも変わりません。

地味ですが、上達しています。

傷ついた栗は、栗ご飯行き

鬼皮を剥くときに渋皮まで傷つけると、その場所から煮崩れやすくなります。

これも最近では、

「これは大丈夫」

「こいつは煮崩れる」

が、なんとなく分かるようになりました。

危なそうな栗は、無理に渋皮煮にはしません。

栗ご飯行きです。

失敗ではありません。

配置転換です。

そもそも渋皮を傷つけることが減ったので、最後まできれいに形が残る栗も増えました。

5年くらい同じことをしていると、ちゃんと経験値は貯まるらしい。

脳みそが、今年は木目に見えた

鬼皮を剥いたら、重曹を使って煮ていきます。

そのあと、栗を指でやさしくこすりながら、余分な渋皮や筋を取り除くと

表面の筋がかなりくっきりしています。

毎年それを見るたび、

「脳みそみたいだな」

と思っていました。

今年も同じように栗をこすって、手のひらにのせて眺めました。

ところが今年は、なぜか木目に見えて

あらなんかキレイ、と思いました。

栗が変わったわけではありません。

変わったのは、見る側なのかもしれません。

来年はまた脳みそに戻るかもしれません。

この工程も、昔は失敗が多いところでした。

せっかく鬼皮をきれいに剥いたのに、

「もうちょっときれいにしよう」

と触りすぎて、渋皮を破る。

自ら破壊。

今は、力加減がだいぶ分かるようになりました。

ここは触る。
ここはもういい。

きれいにしすぎようとしないことも、少し覚えました。

水、水、そしてまた水

渋皮煮を作ると、とにかく水を使います。

水につける。

煮る。

茹でこぼす。

水を替える。

また煮る。

洗う。

また水。

毎年これをやりながら、なんとなく、

「日本の料理だな」

と思います。

水をたっぷり使いながら、少しずつアクや余計なものを抜いていく。

歴史的にどうとか、料理としてどうとかいう話ではなく、単純に作っている私がそう感じるだけなのですが。

それにしても、本当に水をよく使います。

5年目でも、砂糖だけは毎年怖い

鬼皮を剥くのは上手くなりました。

渋皮を触る力加減も分かってきました。

煮崩れそうな栗も見分けられるようになりました。

しかし、味付けだけは毎年行方不明です。

その年の気分と、家にあるもので変わります。

そして毎回、砂糖の量にびびります。

「こんなに入れるの?」

となる。

怖くなって減らす。

すると、素材の味を生かした渋皮煮ができます。

と言えば聞こえはいいのですが、だいたい素材の味に近くなります。

今年は逃げませんでした。

ザラメだけ。

そして、ちゃんと入れました。

鬼皮剥きの経験値に比べて成長の遅かった砂糖部門も、5年目にして少し前進しました。

できても、すぐには食べない

煮上がったら、その日は食べません。

一晩置いて、翌日。

ようやく食べます。

一晩置いた渋皮煮。

完成したときに一番大きいのは、「おいしそう」よりも達成感かもしれません。

大きなボウルいっぱいだった栗が、ようやく渋皮煮になった。

鬼皮を剥いて、煮て、水を替えて、こすって、また煮て。

腰も痛くなりました。

映画やドラマも進みました。

今年も終わった。

そして、栗をくださった方には、出来上がった渋皮煮を必ずおすそ分けします。

いただいた栗が渋皮煮になって、少しだけ元のところへ帰っていく。

残りは私がいただきます。

いただきものから始まる暮らし。

今年も、ごちそうさまです。

来年も、たぶん煮る

今年も無事にできました。

たぶん5年目。

毎年同じことをしていると、自分ではあまり意識しないうちに、少しずつ手が覚えていくようです。

来年も栗をいただいたら、きっとまた同じことをします。

「やった、渋皮煮が作れる」と思いながら、

「今年も始まってしまった」とも思う。

そして栗には、まず熱湯のお風呂に入ってもらいます。

追記:この渋皮煮をお返ししたら、別の渋皮煮が帰ってきました。
→ 渋皮煮を返したら、渋皮煮が来た。|同じ木の栗、二つの台所

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